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KGK田中牧子主事の巡回日記

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聖書の分厚さ=神の誠実さ

【ヘボ研冬合宿3日目】

今回の参加者は学生15名。
そのうち、5名がノンクリスチャン。
1年生から4年生まで、普段の学内活動にまぁまぁ定着しているメンバー達です。

合宿前に祈りの要請をしたあるOBから、こんなメールが届きました。

『合宿中はノンクリスチャンをひとまとめにしないで、
 個別に対応してあげてください。
クリスチャンでもいろいろ信仰度合があるように、いろんな人がいるので。』

この先輩はヘボ研に熱心に参加している、ノンクリスチャンで、
紆余曲折を経て、卒業直前に劇的に救われた方です。
様々な葛藤を経て、でもヘボ研の交わりを通してキリストに出会った
この先輩からのアドバイスに私は襟を正される思いでした。


午後のフリータイム、部屋に戻ってきた一人のノンクリスチャンの学生と
ゆっくり話すことができました。

聖書には興味があるけど、分厚くて嫌になってしまうこと。
いろいろ書かれているけど、結局何が言いたいのかわからないこと。
一人の神様だというのに、いろんな教団教派があるから
嘘っぽくて教会が信用できない、など率直に話してくれました。


二人で「あーでもない、こーでもない」と話しながら気づかされたこと。

それは・・・
分厚い聖書には人間の罪の歴史が半分、
決して人間をあきらめない神の介入が半分書かれていること。
それらを通して私達は神がどのような方で、
どのように罪を裁かれ、赦しの道を備えて下さっているのかを知ることができること。

誰だか分らない人の愛の告白に盲目的に身を委ねるのではなく、
私達が「あなたを愛している」と言われる神を
ちゃんと人格的に知って信頼して人生を委ねる事ができるように。

そのために、主はご自分が歴史の中に、時間と空間を越えて、
生きて働かれる主であることを聖書の中で証して下さっていること。
それにはこれだけの分量が必要であり、
聖書の分厚さは神の誠実さの表れと言えるのではないか。

そんな話をするうちに彼女の顔が今まで見たことがない表情になりました。

 「今までたくさん疑問があったけど、聖書が書かれた目的を知らなかった。
 自分と関係があるって、初めてわかった・・・!」

4年間付かず離れず、ヘボ研に関わってきて、今、与えられた気づき。
先輩のアドバイス通り、本当に一人一人が違う人格で
主に取り扱われるペースも違うことを思わされました。

卒業後も、彼女の中に主を求め続ける思いが与えられますように。






2009/02/26(木) 01:53:25 未分類 トラックバック:0 コメント(-)

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